Interview with NORIEI
− 靴を作り始めたのいつからですか?
実家が靴工場で、物心ついたときから靴作りの手伝いをしてましたね。小学校の夏休みなんかに工場に行って遊び感覚で手伝うみたいな感じかな。高校時代からアルバイト代をもらって手伝っていましたね。
− その時は靴を作りたいという感覚で働いていたのですか?
働いているうちに自分の靴を作りたいと思いだしましたね。仕事が終わってからの時間なんかに実際に作りました。ただその時はなんとか形になったぐらいの靴で。何回も何回もやり直してやっと靴の形になったんですけど、履けるような代物ではなかったですね。縫製一つが難しいし、パターンも難しかったですね。ただ難しかったからこそ靴作りにはまり、高校卒業と共にそのまま工場で働き始めました。
− その頃に工場で作っていた靴はどのようなものだったんですか?
ゴルフシューズや、ボーリングシューズ、カジュアルシューズなんかを作ってましたね。
− その頃の製法はどのようなものだったんですか?
マッケイやセメントが主な製法でしたね。働き始めたくらいにステッチダウン用機械の導入を提案して、やっぱり関西ではセメントが主体やったんで(工場として)他と違うことヤラなあかんと考えていました。その頃は自分自身も靴作りをあんまり分かってないからチャレンジできるというか(笑)、怖さがないというか。
− その頃は十代ですよね?その時期から工場のことを考えて広い視野を持っていたんですね。
言葉で言ったらかっこええけど、実際は他がやってないことをやりたい、単純にそれだけでした。ステッチダウンの機械もどこから仕入れてきたのか分からんボロボロのやつで、それを整備しながら始まったんですよ。使い方もよくわからんし、他社がどのようにしているのかも分からへん。そんな中からちょっとずつ形にはなっていきましたね。
− 整備というのはどこかやってくれるところがあったんですか?
関西にはこの機械を扱ってる所がなくて、関東にはあったけど誰も研修を受けてるわけではないから自分たちで機械を直したり、メンテナンスしたりしていました。そんなことをしてる時に、当時たまたまタイミングよく、ステッチダウンで靴を作れるところを探してるメーカーさんがあったんやね。そこと上手くがっちり組めることができて、そこから流れができて、新しい機械も導入してやっていけましたね。
− その後のタイミングでグッドイヤー製法を導入したのですか?
そうですね。ステッチダウンの靴が完成してきたし、グッドイヤーをやっていきたいという思いがありました。ただ、グッドイヤーの機械が国内に少なくてて、それを探すのに一番苦労しましたね。その頃は業界的にもセメントとか簡単な製法の靴に移行している時期で、「ちゃんとした(作りの)靴なんか売れへんよ」なんて言われていました。
− 生産効率の悪いグッドイヤーをやるというのは、いわば時代に逆行していたわけですね。
そうですね、グッドイヤーはやるところが国内に少なくて、一部の加工所しかできない製法だったんで。だから最初は趣味程度に遊びの靴を作りながら。使ってる機械もぼろぼろで、何が正しくて、何が間違っているのかも分からへんで。そこから整備をしたりしたんやけど、壊れてるかどうかも分かへん状態やったね。ステッチダウンの靴は、だし縫いという製法で、教えてくれるところがあってやり方は覚えれたけど、グッドイヤーのすくい縫いは誰も知らなくて。
世界大戦前頃のドイツのマシン。現在もNORIEIで稼働している。
− 実際どのようにして仕組みを把握していったのですか?
その頃はネットもないし、とにかく靴をバラしまくって中身を見てましたね。参考になりそうな靴を買ってきて、もったいないから、とりあえずちょっと履いてバラしてましたね。あんまりドレッシーな靴ではなくて、頑強なというか、そんなメーカーの靴をよくバラしてました。機械もボロボロやったんでメンテナンスしたり改造したりして機械の仕組みを覚えていきました。
− グッドイヤーの靴を工場として最初に生産したのはどのようなブランドのものだったんですか?
たしか、小さな服屋さんのオリジナルやったと思います。大手ではないから生産数は少なかったので、その分一足一足こだわってできましたね。
ましてや機械も最近のものではないから手を加えないと上手くできなかったし。
− 話がもどりますが、靴の作り方は先代のお父様から教わったんですか?
そうですね、基本的には教えてもらってというより、見て覚えるというというか、聞いてもわからへんから実際やってみて。効率のいい方法とか、能率を上げるためには、というような事をよく教えてもらってましたね。それぞれ仕事があるからそれをやりながら、仕事終わってから夜に新しい事に取り組んでましたね。パターンなんかもいろんな人が教えてくれるんやけど、どうしても腑に落ちなくて。どうしてもおかしいと思って、おやじと夜遅くまで考えてましたね。でも、その時は楽しかったですね。工場なので当然分業しながら仕事をしてるけど、一通りの仕事を覚えて、全部が分かって初めてどこがおかしいとか、仕事のつなぎ目にロスがあるとか。そんな事が分かってはじめてええ靴が作れるんやと思う。どんな仕事でもそれは一緒だと思いますけどね。
− そんななかでオリジナルブランドとしてのNORIEIを立ち上げるきっかけとなったのは何だったんですか?
いろんな仕事の依頼を頂くんですけど、ブランドそれぞれの価格設定があるので、いろいろと(靴を作る上で)妥協せなあかんと。当然商売やから妥協せなあかんとこもある。じゃあ、自分たちで妥協しない(足にとって)ストレスのない理想の靴を作ろう。作るためにはオリジナルブランドを作らなあかん。いつかちゃんとしたこだわったものを作りたいなとは、おぼろげに思ってました。それである程度こんなん作りたいなと思ってる靴のサンプルを作りためてて、それが何型かできた時くらいに始めましたね。
− 靴を作っているなかで、一番難しいことというか、苦労する部分というのはどういったことですか?
革の上手な表現の方法ですかね。組み合わせ方というか。同じ革を使ってもラスト(木型)が違うとその革の表情も変わるし、活きるか活きないか変わってきます。アッパーの革を裁断する為にひいた鉛筆の線一本にしても、その内側を切るか真ん中をきるか外側を切るかちょっとした違いでバランスが大きく変わって靴自体が全然違うものになるしね。それに他の革製品と比べても立体的に作っていかないといけないしそれで左右の形を合わせていかなければならないというところかな。
− 逆に楽しいことはどういうことですか?
でけへん、何回やってもできへんと思ってたことができ始めたときやね。いけるかもと思って、またへこんだりもするんやけど。できだしたかなと思う時が一番おもろいね。ラストなんかも何回も仮摩りして、これやろと思って靴を作ってみても全然違うかったりするんやけど、それを何回もやり直してる中で、おっ!これやと思う瞬間ですかね。
− ブランドとしての思いというか、どのような靴を作りたいというのはありますか?
一回履いてもらったら、「ここの靴じゃないとあかん」とか、「ここのまた違う靴を履きたい」とか、そういうふうに思ってもらえる靴を作っていきたいね。デザインが変わったとしても履き心地のよい靴を作っていきたい。価格帯だけみたら安いもんではないかもしれんけど、使えば使うほど味のでる素材と作りなんで逆に数年に何回か買い替えることを考えたら安くつくんちゃうかなとは思いますけどね。履かれる方の足を第一に考えて徹底的に拘りぬいた(履いていて)快適でかっこええ靴をずっと作っていきたいですね。
NORIEI シューズファクトリー、律栄のオリジナルブランド。 約50年もの間培ってきた技術や経験を結集させた靴を製造している。 www.noriei.jp